ある神社で感じた、不思議なエネルギーと風景
旅先や土地の神社をゆっくり歩くと、思いがけない気づきに出会うことがあります。
先日訪れたのは、長野県大町市にある仁科神明宮という神社でした。
国宝にも指定されている、由緒ある神社です。
夫の実家のすぐ近くにあり、これまでも何度か訪れてきた場所です。
けれど今回は、境内をゆっくり歩き、本殿以外のお社にも目を向けてみたことで、今までとは違う感覚にふと気づかされたのです。
それは、どこか張りつめたような空気に包まれて、「自分がここにいていいのかな…」と、少し怖くなるような気持ち。見守られているような、でも同時に試されているような——そんな不思議な感覚でした。
春の仁科神明宮は、雪をかぶった北アルプスの山々や水田に映る桜の風景に包まれ、とても静かで凛とした美しさを放っています。
その中で特に印象的だったのが、須佐之男命(スサノオノミコト)を祀る小さな祠でした。
主祭神である天照大神(アマテラスオオミカミ)の社殿が堂々としているのに対し、須佐之男命の祠は控えめでとても小さい。
神話では大きな力を持ち、重要な役割を果たした神様なのに——なぜ、こんなにも小さいのだろう?
その疑問がずっと心に残り、私は気づけば須佐之男命について調べ始めていました。
須佐之男命は「繊細で、感情の波が激しい神様」だった
須佐之男命と聞くと、荒ぶる神というイメージを持つ人が多いかもしれません。
神話の中では、高天原で乱暴を働いて天照大神を深く悲しませてしまい、追放されてしまいます。
けれどその背景には、「母に会いたい」という切実な想いがあったと伝えられています。
(古事記の記述より)
感情をうまく表現できず、荒ぶる形でしか自分の思いを出せなかった。
その姿は、感受性が豊かで考えすぎてしまう私たちHSPと、どこか重なるように感じられたのです。
感受性が強いと、時に「あらぶる」こともある
HSPは感受性が強いがゆえに、
- 周囲の空気に敏感に反応してしまう
- 些細なことに深く傷つきやすい
- 感情が大きく揺れ動くことがある
私自身、「もっと鈍感になれたら」と思うことが何度もありました。
でもそれは“弱さ”ではなく、自分の特性であり、エネルギーでもあるのかもしれません。
須佐之男命の姿を通して、そう思えるようになったのです。
須佐之男命が教えてくれた、「感情の扱い方」
高天原を追放された須佐之男命は、出雲に降り立ちます。
そこで彼は、ヤマタノオロチという怪物に怯える家族を救うために立ち上がり、
持っていた力を「誰かのために使う」という選択をします。
感情を暴発させるのではなく、守りたいもののために使う。
その姿は、自分の内側のエネルギーを、思いやりや行動に変える可能性を教えてくれました。
HSPだからこそ、神話が心に響くとき
神話は、ただの物語ではなく、
私たちの内面を映し出す“心の鏡”のような存在かもしれません。
須佐之男命の物語を通じて、
「感情が豊かであること」「敏感であること」を否定せず、
どう受け止め、どう活かしていくかを見つけるヒントになった気がします。
自分の感受性を責めるのではなく、大切な力として認めていく。
そんな見方ができるようになるだけでも、心の景色は変わってくるのではないでしょうか。
自分の性質を受け入れるためにできること
疲れてしまったとき、気持ちが落ち込んだとき、
神話や自然にそっと触れてみる。
静かな神社の境内で、ゆったりと呼吸をして、自分の内側に意識を向けてみる。
敏感な自分も、感情が揺れる自分も、きっとそのままでいい。
このブログが、そんな“ひと呼吸”のきっかけになればうれしいです。
※仁科神明宮の本殿・釣屋・中門・透塀は国宝に指定されています。この記事では私個人の印象に基づいて書いていますが、その厳かな空気は、こうした格式の高さにも通じているのかもしれません。
須佐之男命は、厄除けや災難除けの神様として広く知られるだけでなく、
出雲での神話からは“家族や土地を守る存在”としても描かれます。
心の混乱や疲れを鎮め、平穏をもたらしてくれる神様——。
今の自分に必要な気づきや癒しを、そっと届けてくれる存在なのかもしれません。
そんな流れで、私はいつの間にか須佐之男命のファンになっていました。
この記事を書いた人
いっしたまえ|心と体を整えるアドバイザー
敏感アンテナさんたちに寄り添いながら、
自律神経と眠りを整えるヒントをお届けしています。
元看護師・セロトニン活性アドバイザーとして、
「眠れる体と疲れない心に整える」サロン Calm time を運営。
自身と家族の体験を通して、心と体を支える知恵を発信しています。
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