敏感アンテナの私の歩み
小さなことに揺れながらも、
少しずつ「自分らしく生きる力」を育ててきた私のストーリーを、ここにまとめました。
同じように、日々をがんばっているあなたへ――。
第1章|忙しさに追われた日々――家族とのすれ違いと自分を見失った私
忙しさが日常になり、自分を見失っていた私。
そのしわ寄せは、静かに、でも確実に家族へと広がっていました。
忙しさがもたらした心と体への影響
父が元気だったころは、孫に会いたいがために、
地方から両親そろって頻繁に遊びに来てくれていました。
家のことを手伝ってくれることも多く、
それほどつらいと感じる日はなかったように思います。
年月は過ぎ、
新しい部署への異動、責任者への昇格、
さらに子どもの進級や親の介護…。
次々と訪れる大きな変化に、
わたしの生活はさらに忙しさを増していきました。
朝から晩まで、仕事と家庭に追われる日々へ。
「今は頑張るしかない」
そう自分に言い聞かせ、周囲の期待に応えることを最優先にしていました。
体に現れ始めたサインたち
朝のリビングには、子どもの準備を急かす声が響き、
テーブルの上には手つかずの朝食が冷めていく。
カーテン越しに差し込む朝日を見ても、
体は重く、布団から出る気力さえ湧きませんでした。
――そんな日々の中で、少しずつ体と心のバランスが崩れていったのです。
私に現れていた症状:
- 体のだるさと倦怠感(朝起きても疲れが取れない)
- 胸の痛み(検査は異常なし)
- 物忘れ・集中力の低下
- 体のこわばり(デスクワークが苦痛に)
- 耳の閉塞感(音が遠くなるような感覚)
- 便秘と体重増加(生活リズムの乱れによる)
「どうして、こんな状態になっているんだろう」
答えが見つからないまま、ただ日々をやり過ごしていました。
誰にも相談できず、ただ耐える日々
「評価が下がったらどうしよう」
「周りに迷惑をかけているかもしれない」
体と心が悲鳴をあげても、
誰にも相談できず、ただ耐えるしかない日々でした。
保育園の選び方がもたらした“孤独”
職場まで車で約40分。
朝7時半には家を出て、子どもを保育園に預けてから出勤。
“お迎えに間に合う”ことを最優先に選んだ保育園は、職場近くでした。
子どもたちは楽しく過ごしていたように思います。
でも――
- 小学校入学後、保育園の友達が誰もいない
- 知り合いのママもいない
親子ともに“孤独なスタート”となってしまったことに、後から気づきました。
「母親らしさ」を演じていた私
クッキーを焼いたり、旅行に行ったり。
家族との時間をつくろうとしていました。
でも、
その時間を心から楽しんでいたかと聞かれたら、自信がありません。
旅行先でも、子どもとの会話中に仕事のメールが届くと…
「ちょっと待ってて」「お仕事の話だから」
そんな言葉で空気が一変。
海辺で「足を濡らしたい」と言われても…
「服が濡れたらどうするの」
「砂だらけになるよ」
笑顔で「いいよ」と言えない自分がいました。
思いやりのつもりが、すれ違いに
「今、何を思っているのだろう?」
「学校で楽しんでいるのか?」
「将来に向けて悩みはないだろうか?」
いつも子どもたちのことを考えていたつもりでした。
でも、
「十分に応えられていない」という思いが強くなり、
自分を責める気持ちが大きくなっていったのです。
――そして、そんな日々の中で、子どもたちの体調や表情に変化が現れ始めたことで、
私の意識は一気に「自分」から「子どもたち」へと向かっていったのです。
どうにかしなければ。
そこから、長い模索の時間が始まりました。
コメント